投稿者「martinart99」のアーカイブ

書家⇄画家(酔っ払い⇄酔っ払い)

去年、北井画廊さんでの展示で、書家國定三無さんから注文を頂いて少し前に納品してきました

三無さんもお酒を飲むのが好きで、酒場と酔っ払いをテーマに描く僕に自身の酒を飲む姿を描いて残しておきたいとの依頼でした

お互い大衆酒場が好きなことから、月島の老舗大衆酒場「岸田屋」で画廊のオーナー北井さんも交えて、取材を兼ねた顔合わせをしたのは2022年10月でした

大変素晴らしい酒場で肴も美味しい、しかも酒場好き同士で話も合うわけで、気が付けば普通に楽しんで酔っ払ってしまったわけで‥‥
すっかり酔っ払いになってしまった僕をよそに、冷静を保っていたのが今回の話を繋いで頂いた北井さん提供の資料で制作を進めました

今年3月に完成して、先月5月に納品してきました

北井画廊での納品後は再び三人で九段下の酒場で飲んできました
その時、グラスの持ち方が独特で絵を描いているときもずっと気になっていたので聞いてみたんです

「筆を持つときの癖です、グラスを持つときもつい出ちゃうんですよ」
この回答にはさすが書家さんだと感心したと同時に、それを捉えた絵になって良かったと安堵しました

そして完成品を大変気に入って頂けたのは、何よりの喜びとなりました

『今夜すべての酔っ払いへ』好評発売中です
未読の方は是非!

ラジオに出ます

今週土曜(2022年10月8日)、昼の12時〜にラジオに出ます

ラジオフチューズ87.4

Shifoのリラックスサタデー

縁あって自著関連から、オファーをいただきました

このラジオを聞くには、アプリからが早いかと思います
リンクはこちらです

アプリからラジオの聞き方はこちらを参考にしてください

当日、どんなことを話すかまだわかりませんが、どうぞお楽しみにしていてください
生放送なので変なことを言わないよう注意しつつ、僕もワクワクしながら臨みます!

そうそう!
質問など是非ともメッセージをラジオまでお送りください!
正直に答えます(たぶん)

復旧しました!と近況

当サイトがしばらくクラッシュしていたため、ごく一部の情報しか閲覧できませんでしたが無事復旧しました

ただ、しばらくの間Worksページは他サイトでの閲覧になります
あと残念ながら、これまでのブログは戻りませんでした…

また少しずつ更新していきます
何卒よろしくお願いします

今年は6月に電子書籍を発売しまして、それからグループ展とミニ個展を夏に終え、注文作品が数点あるのでそれらの制作に励んでいるところです

10月上旬にラジオに出るかもしれませんので、ここかTwitterかで改めてお知らせできればと思います

何かとバタバタしていまして、お知らせなどが後手になってしまっていて申し訳ないのですが、またここへも見に来ていただければ幸いです

報告と予告

久しぶりの投稿になります
ここ数年は注文作品を主にしておりました

スイム帽やスイムタオルの絵を描いたり

販売サイトはこちら

肖像画の依頼があったりでした

他にもいろいろあるのですが、一番報告したいことは文章を書いておりました
文章自体はようやく脱稿を終え、校正の段階まできました
あとは挿絵を描けば完了です
来春あたりには出版できる予定です

内容は、酒場と酔っ払いをテーマに絵の題材を取材する中で起きた、いろいろな体験を記しました
酒場で酔っ払い相手にだけ話しているのは勿体無いと思い出版を考えました
電子書籍での出版で、そこに作品も挿絵として掲載し新たな展示の場にと考えております
もう数ヶ月先、次の展示は電子の中です
どうぞ楽しみにしていてください

先に冒頭をチラ見せです↓

STATEMENT

古屋正成は東京で生まれ育った

子供の頃は粘土でオブジェを作ることに関心を示し10代のときは陶芸をしていた
やがて美術学校で油絵を学び、画家として活動するようになった
現在は主にアクリル絵具と油絵を併用しながら制作している

彼はを人間の思いの在りかを手掛かりに制作している
それは目に見えない形だけでなく、目に見える形でも現れていると考えている

彼の祖父が串焼き屋を営んでいた関係で幼少期より酒場にいることが多かった
子供ながらに眺めていた酒場の光景や酔っ払いの姿を憧れを抱くことなく冷静に観察していた
しかし、大人になり”大人の世界” “酒場の光景”に溶け込むようになり子供の頃には理解できなかったことが理解できるようになった
それは1日の仕事を終え次の日が始まるまでのわずかな時間に許される至福の時間があるということだ

至福の時間が必ずしも歓喜に満ちた時間であるとは限らず、愚痴や涙に終始することもある
それでも至福だと言いたい
酒は神に捧げるものだから酒を介在した時間というのは神に許された時間ではないかと考えるからだ
それは至福以外の何物でもない

過去でも未来でもない此処だけに存在する凡庸なる平常にこそ存在する至福の時間
他人から見れば侮蔑されたり愚かだと言われるような行為、それらに現れるメッセージを大切に見つめていきたいと考えている

Masashige Furuya was born and raised in Tokyo and expressed an interest in making objects with clay when he was a child. Furuya began to work as a painter and studied oil painting at art school.

He now creates art by combining oil and acrylic paints. Furuya’s work describes our imagination and perceptions – what we see and what invisible to the human eye.

During his childhood, Furuya spent a great deal of time in his grandfather’s skewer grill bar, where he observed calmly without feeling admiration, many drunken scenes.

Now years later, Furuya as an adult has a different “view of the bar” and the “adult world” he could not understand as a child. He sees the time between when work ends for the day and a new day dawns as precious, but not always filled with delight and happiness. Sometimes it is also filled with tears and complaints. However, Furuya feels this is a special time.

Furuya believes that since sake is something we offer and dedicate to God, this is a time when God forgives us. This means that the time spent drinking is nothing but very precious.

This time of bliss exists within our ordinary and mediocre lives. Some people may see this as a stupid pursuit but to Furuya this contains an important message for him.